生きているのが幸い

さいわいです

4月19日(金) 流されて春

職場の会議が長引いて書くのが遅れてしまった。なので翌朝の通勤電車でこの日記を書いている。

土曜日なので平日よりもはるかに空いている。普段は身動きの取れないほどの満員電車に乗って出勤をしているのでギャップがすごい。でも、ぼくは満員電車に乗るのはそこまで苦ではない。人の流れに抵抗せず、ぐでーっと身を預けて流されていると楽ちんだ。反対にいま、空いている電車で自分ひとりで立っている方が疲れているかもしれない。

思えば人生全般そうかもしれない。大抵はその時の流れにぐでーっと乗って生きてきた感覚がある。生来の面倒くさがりというのもあるし、もしかすると、幼少期に親の都合の転校が多かったり、震災によって一晩で住むところを失くしたり、そういう自分ではどうにもならない大きな流れに乗らざるを得ない体験が多かったことから自然と身につけてきた処世観なのかもしれない。違うのかもしれない。

流されるといえば、今の職場でのポジションもだいぶ流され気味に決まったのだった。なぜだか知らないが、昨年から引き続いて事業所の管理業務をしている。最初に書いた会議も各事業所の管理者が集まっての会議で、年度始めでいろいろと整備しないといけないことが多く長引いたのだった。

管理業務をやってみて驚いたのが、こんなにも自分が不得手な仕事があるとは!ということだった。けっこう何でもそつなくこなしてきた自信があったけれど、本当に苦手すぎて自分でも不適格ぐあいにびっくりしている。

例えば事前のスケジュール設定とか、関係各所との根回しとか、職員間の関係調整とか、そういう長期的・大局的な行動がまったく身に入らない。反対に、現場でお子さんと接する時の臨機応変な対応みたいな短期的・局所的な行動はお任せあれという感じなので、本当に向いていないのだと思う。

とはいえ任されてしまったのでとりあえずできそうな範囲でぐでーっと取り組んではいる。幸い、「真面目にやって消耗している」「不慣れなりに頑張っている」と周りからは受け取ってもらえているので、みなさまの多大なるフォローでどうにかこうにか乗り切っている感じだ。「いいひと」を装っておくのも悪くない。

内心はどうあれ、周囲が「いいひと」として扱い、自身も「いいひと」として一貫して振る舞うなら、もうそれは「いいひと」なのかもしれない。違うのかもしれない。

そろそろ職場につくのでこんなところで。

がんばるぞ〜。