生きているのが幸い

さいわいです

2024年4月16日(火) トランポリンな日

仕事が休みなので息子も一緒に保育園をお休み。

ふたりで最近お気に入りの、川崎にあるトランポリンパークへ遊びに行ってきた。

maps.app.goo.gl

注:リンク貼ろうと思ってマップ検索したら『閉業』になっているのだが…??え?今日が最終営業だったってこと?

たいていのトランポリン施設は子どもゾーンと大人ゾーンが分かれており、親子が一緒に遊ぼうと思っても大人が見学せざるを得ず、子どもも親と一緒に遊べなくていまいち楽しみ切れずに共に不満が募る、といった結果になりがりなのだけれど、この施設は親も子どもも同じトランポリンやアスレチックで遊べるので、もう全力全開で楽しめるのである。なんなら正直言ってぼくが遊びたいから息子を誘っているまである。大人だってトランポリンで飛び跳ねたりくそ長いスライダーからボールプールに飛び込みてえんだよ!!

そんな感じで、ぼくは息子と二人で一緒にしょっちゅう遊びまわっている。

子どもと二人きりで出かけたり遊んだりすることに面倒や苦痛はほとんど感じない。まあ息子がとても聞き分けのよい子どもであるということもあるし、そもそも自分が保育士で子どもの扱いに慣れているというのもあると思う。(保育士なら当たり前じゃねーか!と突っ込まれそうだが)

ただ『父親』という点で考えると、ぼく自身は父親に遊んでもらったという記憶がまったくないから、『父親らしい遊び方』っていうのがどういうものなのか分からない。

じゃあ自分が息子と遊んでいるときってどんな感覚なのかなあと思い返すと、なんというか、すごく年の離れた後輩みたいな感覚で一緒に遊んでいる気がする。「俺がお前に超面白い遊びを教えてやるぜ!」みたいな。逆に息子から面白いことを教えてもらって「俺も混ぜてくれ!」って言ってみたり。ふたりで馬鹿馬鹿しい遊びを考え付くこともある。最後に「ち」がついたら必ず「ち〇こ!」と言わなければいけないしりとりとか(二人で大爆笑しながら一日中やってた)。本当に遊び友達の一人という感じ。

 

ぼくといろいろ遊びまわった日々が、どれくらい彼の記憶に残るのかはぜんぜん分からない。でも、できれば「お父さんに遊んでもらった」という風には思い返してほしくない。俺はきみと「遊んであげた」のではなく、本当に心の底から、一緒に楽しく「遊び合った」のだから。